■なんで、みんな聞くのかなー?
失礼な話だが、見知らぬ人にいきなり、
「車イスで大変ですね」 とか、「本当に歩けないのですか?」 とか、
「一生、治らないの? リハビリしても? 本当に?」 とか、聞かれます。
そのことがあなたにとって、いかに重要な質問なのでしょうか?
単なる興味だけで、触れたくないナイーブな人の心に入ってこないでほしい。
質問をされる立場になっては考えれないのか。他人の心の痛みに鈍感な人がいます。
さらに気分が悪いのは、毎回、同じような質問をされることです。
決まりきった質問はたくさんありますが、そのひとつに、
「何か、スポーツはしないのですか?」 というのがある。
「別にしてません」 と答えると、不思議そうな顔をされたりする。
障害者の社会復帰 = スポーツ(パラリンピック) というイメージが強いのだ。
私は、日常生活や趣味の水泳の影響で、上半身はガッチリしている。
けれども、バスケットやマラソンなどには興味がない。全ての人がスポーツするわけないでしょう。
学校でも生徒全員が体育クラブに入ることはないわけですから。だが、世間はそうは見ていないようです。
障害者モノのテレビドラマとかでも、社会復帰の象徴的シーンなどで、スポーツへの取り組みが描写されたりする影響が強いのか。それとも、スポーツでしか社会復帰ができないというイメージがあるのか。

■対等に競えない
確かに、私自身も、最初に車イスバスケットを見たときは、驚愕しました。
スピードが速く、自在に車イスを操り、ぶつかり合う。
専用の車イスの性能の良さもあるのだが、トレーニングしている選手の肉体は格好いい。
もちろん、私も実際にやってみた。だが、小学校から、ケガをする高校3年まで、
ずっとずっと色んなスポーツに打ち込んできた者として、心に疑問符が出ていた。
人と競い合う楽しみが、あまりない。
脊髄損傷の場合、背骨のどの部位を損傷しているかによって体の状態が随分違う。
腹筋、背筋の効かない人もいれば、バリバリ効く人もいる。
腰が安定している人もいれば、そうでない人も。義足の場合は片足で支えられる。
さらに複雑なのは、同じような障害でも、体の状態が違うこと。
損傷の仕方、手術の方法、本当に先差万別。
左右のバランスが違ったり、少しだけ感覚が残ってたり、微妙に違います。
つまり、いくら努力しても、超えられない障害の壁があるのです。
スポーツをしていて楽しいのは、自分の限界を超えていく楽しみ。
それがある程度、限られているのだ。また、対等に競い合うというのが難しい。
車イスバスケットの場合、障害の程度で、持ち点が決められ、5人のチーム全体で、何点以内と決められているので、個々に差があっても、チームとしては差がないようにしているので、最も競いやすい。
だが、陸上や水泳などは、もろ自分の肉体で勝負しなければならない。
もちろん、障害の程度で、多くのクラス分けがなされて、そのクラス内で勝負するのだけど、
同じ障害といっても全く別の状態であったりする。
私の場合をいうなら、胸椎11番の脊髄損傷。限りなく完全麻痺に近い、不全麻痺。
足は全く動かないが、感覚は戻った。痙性(反射)というのが強い。
そして、背骨が、自分の骨盤を削った骨を使って、6本固定されている。
これがやっかいで、体が後ろに全く反れない。前屈姿勢も、ロボットみたいにカクンと下がるので苦しい。
このように、みんなそれぞれ何かしらの不自由はある。
単に障害のない人が、車イスに乗って競争するなら平等であると思うが、
座位バランスひとつとっても差がある。
だから、努力しても、上手な人や、速い人に追いつけないのは、自分の障害の限界値なのではないか
とも思ってしまう。同じ障害の程度でも、微妙に状態が違うので、それが影響しているとか。
ただ、車イスマラソンのように、競い合う楽しみが存在している競技もある。
それでも、金メダリストは、クラス毎に何人もいるのが実態。
アーチェリーのように、障害者も、そうでない人も関係なく競え合えるのがいいですね。
■有利、不利
障害分けのクラスで、そのクラス内で最も障害の程度が軽ければ有利になる。
パラリンピックでも、障害のない人が障害があると偽って出場していて問題になったり。
また障害申告や診断の際に、有利な条件になるようにすれば得になる。
すなわち、階級分けで有利なら優勝しやすい。 クラス一つで随分変わります。
先日、近畿身体障害者水泳大会というのに初めて出場して、再認識したことがありました。
水泳大会報告へ
障害者スポーツが、リハビリの象徴であったり、社会復帰の象徴でなく、
アスリートとして認められるようになるには、競い合うという部分が不可欠だと思います。
障害者だけで競い合うのでなく、障害のない人も含めて競い合えれば、
スゴイんだと認識できると思います。良いアイデアはないでしょうかね?
その価値のある障害を持つアスリートはたくさんいると思います。
ただ、障害があるのに頑張ってやってるね、だけで終わらせないでほしい。
シドニーパラリンピックで、日本人は、障害者でもスポーツは出来るんだという認知しましたが、
今後はスポーツとして純粋に見れるかどうかというのが問題となるでしょう。
スポーツとして純粋に楽しいコンテンツと、それとは反対の、
頑張っている・勇気づけられるコンテンツとに、分けられるべきでしょう。
2001/07/07 written by KIJI

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