イタリア プチ留学 (4)
1995/07 - 09
初めてのカルチャーショック / チュニジア
■タクシー運転手の洗礼
シチリア島から、船でアフリカのチュニジアに上陸。
目的地に着いたとき、メーターが、3ディナール(=約300円)弱を示していた。 彼は、「メーターは3ディナールだが、5ディナールは欲しいという」。喧嘩になった。 アッラーを口にしたのが効いたのか、運転手は、 ここで折れた。 お金を払わないで乗り逃げするのは、なんか後味が悪い。
これが、これからのチュニジア旅行の値段交渉敗北の歴史(ぼったくり)の始まりだった。 ■ビール 話しかけられることも嬉しかったが、何より私のことをほめてくれたのが嬉しかった。 二人は自己紹介をした。二人ともホテルで働いているのだという。だから英語が話せるのだという。 二人は、もう一杯おごってくれという。 なんてこったい。ビールの値段が下がるのだ。 ようやく、だまされているのだとわかった。 もう酔いが醒めていた。ディスコに行こうという誘いも断り、ただちに店を出て、別れた。 さて、少々のお金をかすみとられ気分を害したが、ちょっとの損害で済んだので良しとしようと思い、 これ以外でもチュニジアでは盗難の危機があった。 盗みやすい車イスから盗むのは利に叶っているという訳だ。
今までの旅行で、盗難に会ったことは一度もなかった。 車イスの一人旅をしているとき、車イスだから多少は優しくしてくれるだろう、泥棒も狙わないだろうと、 盗難に象徴されるように、チュニジアではイスラムの影響もあるのか、
車イスの偏見がない。優しさもなければ、保護もない。ある意味ものすごく平等な社会だった。
この後、大学の卒業論文で、「ムスリム(イスラム教徒)の西欧化・国際化」を書くことに決めた。 |
1997年1月執筆 卒業論文です。
チュニジアで初めてカルチャーショックを受け、イスラムに興味を持ち、卒業論文を書きました。 米国同時テロで、イスラム文化が注目されているので、サイトにアップすることにしました。 <序章> ひとつの世紀が過ぎようとする分かれ目に私は生きる。大きなぺ一ジがめくられるその風を感じる。 世界の流れは急速に進んでいる。政治・経済・文化すべてのものが国境を超え、環境間題・核問題・民族紛争など、もはや一国だけの間題でなく地球規模で解決しなくてはいけない問題となっている。そのためには互いの理解、共通の認識を持った国際的な共生が必要だと思われる。 しかし、今、世界ではこの近代社会の矛看、限界を感じそれと逆行する動きがある。アラブ諸国では、イスラム原理主義政党が与党になったり、日常生活で戒律を厳しく守ったり、イスラムの復興運動が盛んになっている。植民地支配時代から続いた西欧志向は、今、逆行し始めている。西欧的価値観にどっぷり潰かった私達は、常に欧米に追いつけ追い越せで発展することが絶対的で、近代化=西欧化に抵抗する、新しい価値を探ろうとする彼らのイスラム復興運動を正しく認識しにくい。 なぜ、現在、イスラム復興運動が盛んなのか? イスラム社会でも20世紀に人りどんどん西欧化してきたが、金持ちがより金持ちになり、貧乏人は貧乏人のままで、貧富の差が拡大し続ける資本主義の矛盾を感じる人が、1980年代から現在まで、アッラーのもとでは全てが平等で差別のない貧富の差もない世界、コーランに思実に従うイスラムに思実的な生活を再構する人の数が、どんどん増えている。 これは何もイスラム世界に限ってのことではない。21世紀への大きな流れの中に世界中で宗教に立ち返ろうとする人々のうねりを見ることができる。それは冷戦の終結後、際だって目立つようになった。 宗教の教義を狭く厳格にとる原埋主義者が各地で台頭し、国や社会を動かそうとしている。宗教や教派の違いを背景にした紛争、宗教の関連したテロ活動が世界いたるところで行なわれている。
20世紀、先進諸国は科学の進歩と経済の発展で目覚ましい発展を遂げ、人々の幕らしは年を追うごとに良くなっていった。そこには限りない成長の夢があった。しかし今、もはやかつての成長は望めなくなり、人々の夢を奪っている。社会の姿、家族の姿も急激に変化し、その変化に対応できなくなった歪みがいたるところで露出して、人々の心に不満と不安を落とし込んでいる。 こうしたこれまでの価値観に当てはまらくなった人々が宗教へと向かう。
今、イスラム教であれ、キリスト教であれ伝統的宗教でも「なぜこうなったのか?何が正しく、何が善であるか?」 宗教団体は答えを提供してくれる。自分達が知っている信じている社会はものすごい速さで変化し、不安定で不確かな社会となっている。こうした時に人々が求めるのは、「これが真実だ。これが正しい道だ。これが良いことなのだ」と示してくれるものである。保守派、原埋主義の主張は明確で「コーラン(聖書)にそむいたからこうなった。コーラン(聖書)に帰れ」とういうものである。
私は以前、イスラム教は古臭い、前近代的な考えだと思っており、彼らが、いったん我々の豊かな物質社会に触れると、どんどん西欧化していき、イスラム的なものの重要性は少なくなるのではと考えてたが(事実、日本はそのようにして発展してきた)それは間違いで、現在、イスラム国において起きていることは、彼らは、日本とは逆に西欧とは違うやり方での発展を目指している。宗教に立ち返る。イスラム復興運動が盛んなのである。 いまや全世界にムスリムがいる。日本にも労働者や留学生、ビジネスマン、その子どもと、多くのムスリムが生活している。新しい価値観、国際化を目指すには、彼ら抜きには考えられない。彼らを含めた国際理解が必要だ。イスラムが前近代的というのは我々の誤った認識であり、何か別の価値があると思う。 今まで我々は、イスラムに対してあまりに無知でありすぎた。ほとんどの日本人も、豚肉が食べれないとか、一夫多妻ができるとか、女性の地位が低く家に居ないといけない、とかの知識だけで、それも正しい認識でない場合が多い。 (つづく) |