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東アフリカ 大地溝帯の旅 (6)

2011/12 - 2012/01

国境で働く障害者 / コンゴ民主共和国


国境でビザ交渉

世界旅行者にとって憧れの国。最強の国、最後の秘境とも言われるコンゴ(旧名ザイール)。ルワンダから、陸路ゴマ(日本もかつてPKO派遣)に入ることを試みる。平和にもなったことだし(推測だけど)、国境でビザがとれるとなぜか信じて突入してきた。

ルワンダの首都キガリから、国境の町ギセーニまでは、バスで3時間。タクシーパークは住宅街の中にある、火山爆発の溶岩流とかも残る荒れた未舗装道路。国境まではバイクタクシー。歩いていったらとても遠かった。未舗装の上り500メートル。新しいアスファルトの道が1キロぐらい。

国境へと続く1本道。3輪車イスに乗った女性を見かけたので写真撮影。 何をしているのだろうか? 

ルワンダを無事に出国。係員はビザ無しではコンゴには入れないよと助言。出国スタンプは押さないでくれた。もしも入れなかったら、ややこしいから。国境では、頭に荷物を乗せて往来する人が多数。鶏を腰に10頭ほどぶら下げて歩く人も多かった。全ての物資が基本的に、豊かなルワンダから、コンゴへと流れていた。

国境には、鉄条網が張られ、向こう側のコンゴは匂ってきそうなほどバラックが密集。ゲートの柵を操作する軍人に、国境でビザを取りたいと説明し、小さな小屋へと入る。入口はもちろん段差。かなり交渉が必要だし、担いで中へ入れてもらう。

国境を行き交う商売人や地元民は、パスポートではなく、丈夫な用紙で作られた出入国管理カードを持つ。スタンプを押してもらえれば、出入国が可能となる。

さて、その入国審査のスタンプを押す事務所に入り、交渉開始。日本だとすぐに誰が主要人物か判断できるが、その勘がすぐ働かない。Gジャンを着たおじさんがボスだった。成金風の派手な服の女性も高官だった。世間話をしながら、私が安全な人物で問題ないよと信頼してもらう。

1週間のビザは、285USドルと言われ、度肝を抜かれる。腹をくくって支払うことにしたが、やっぱり招待状なるレターが必要とのこと。それがあれば問題ないらしい。また、車いす一人で大丈夫なのか?というのもあったのか入国許可は認められず。残念。

30分だけど、コンゴの地を踏んだ。英語は高官でもあまり通じず、完全なるフランス語圏。日本でビザ取得しとけばよかったが、1万円以上だし、東京だし、情報ないし、手続きが面倒だった。国境で取れなければ、縁がない、安全でないと、諦めるつもりだった。実際に旅行したら、過酷な状況が待っていただろう。縁がないと思うしかない。道は未舗装で超ガタガタ。火山爆発の溶岩で道はでこぼこで、ひどい状況であった。

入国を諦め、外に出ると赤シャツの車いすおじさんと出会った。車イスに乗る私に興味深々。私も興味深々。だって彼のような大きな3輪車イスに乗る人が物資を運んでいるから。

ルワンダに戻らなければいけないが、混沌とする国境で、少しだけ立ち話をした。

ルワンダとコンゴの国境では、障害のある人がたくさん働いている。その数およそ150人。大きな三輪車いすに、生活物資を運び国境を越える運び屋。自動車、バイクは通行禁止なので商売独占。そのボスがこの赤シャツのおじさん。俺が職域を開拓したんぜ!すごいだろ!と風格があった。 素晴らしいね!と私も讃えた。3ドル~10ドル/日 稼げるらしい。10ドルは大げさかもしれないけど。一種の福祉就労かもしれない。いわゆる福祉の概念など無い場所であるが、助け合いは存在する。

障害のある彼らは台車(3輪車イス)の運転手。他に1~2名の若い屈強な押し人がいる。運転手は小児マヒや、ポリオ、脊髄損傷、手足欠損のコンゴ、ルワンダの障害者。ちなみに別のところで聞いたが、小さな3輪車イスは、コンゴでも生産されており、400USドルらしい。

障害者が主役の国境なんて素敵。多様性。カオス。面白すぎ。コンゴには入国できなかったけど、時間も余ったし、色んな人達と話しました。中にはルワンダ人もいるが、ほとんどがコンゴ人。女子も多い。

境へと続く道沿いには、色んな工業製品や食料、素材などの倉庫や店が並びます。そこの倉庫から国境を超えて、コンゴへと運んで行くのです。

大声あげて客を取り、大型車いすを操りながら、厳しい国境ゲートを我がもの顔で通り抜けていく。何でも有り。強い者が勝つだけの無秩序。混沌でのたくましさ。障害も違いの一つでしかない。多様性のコンゴを象徴する風景だった。

障害があっても一生懸命に働く人の姿を見ると嬉しくなる。それが物乞いであったとしても。隔離され存在を消されるよりはマシである。社会の中で、俺達も生きている!と強烈に主張していた。

この光景をみると、アフリカが貧しいとは一概に言えないと思う。貧困や飢餓のイメージが強調され「恵まれない子ども達」という表現も使われるが、勝手に不幸と決めつけているのは他国の人達であり、蔑んでいるように感じる。

活力に溢れた市場。走り回る子ども達。障害のある人も驚くほど街に出ている。車いすの人と目が合うと手を振って笑顔を交換するのが楽しい。同志の連帯感というべきか。見えない振りをする日本とは対照的であった。

・・・・・

2015年12月 補足: 国境で働く障害者は、コンゴ共和国ブラザヴィルと首都キンシャサのコンゴ河の国境でも有名らしい。障害者政策の一つで、関税免除があること、介助者1名がついて入れることが理由らしい。なるほど。

参照: 「商売の王さま」と呼ばれる障害者集団 ― コンゴ川の国境ビジネスの展開  戸田美佳子


詐欺師

ギセーニでは良い宿をみつけれたので(運び屋の車いすさんが紹介しれくれた)、そのまま休憩。翌日、タンガニーカ湖の方へと行ってみたら、もう一つ国境があった。こちらは自動車専用。金持ち専用。

外国人ならこの国境を素直に利用すれば良かったが、存在を知らなかった。散歩していて、探検がてら国境にいけばゲートがあったのだ。すぐ近くに(山側と湖側)2つの国境があるとは思いもしなかった。外国人なら、この湖畔の国境が無難であろう。

国境で話しかけてきた自称コンゴ人の「ピーター」がいた。人相は良く、英語が上手。旅行会社に勤めているとのこと。私が入国したいと話すと、この国境なら「50ドルで7日間のシングルビザがとれる」とのこと。その書類作成にパスポートのコピーと写真が必要というので、ホテルへと一緒に戻り、彼に渡した。ホテルまで3キロ以上あるため、バイクタクシーの後ろに彼を乗せ、私はバイクにつかまり引っ張ってもらった。時間がないため、翌日発行の手数料20ドル+彼のバイクタクシー代1500フラン(3ドル)を渡す。詐欺かもしれないが、リスクを選択。

ホテルに戻ったのが、14時40分。16時00分に戻ってくると言ったが帰ってこない。17時45分。また大雨が降ってきた。いつも夕立があるのかもしれない。雷雨だった。雷雨の中、18時に彼は部屋に戻ってたきた。ビザは明日の朝7時に受給らしい。そして、ホテル代7000フラン(12ドル)をたかり、夕食代2000フラン(4ドル)を貸してくれという。

明日の7時に電話をする。9時半に迎えにきて、10時に出発するという。20ドル+10,900フラン 合計38ドル(3000円)を、手数料と思って支払った。詐欺かもと疑ったので、ピーターの写真をとった。そのとき眼鏡を外した。視線もそらした。

翌日、ピーターは現れなかった。やっぱり詐欺だった。私の欲望に見事につけこんだ。だまされた。20ドルはともかく、夕方に支払った9000フラン(16ドル)が悔やまれる。ささやかな仕返しとして、詐欺師ピーターの写真を自分のサイトで晒すことにする。

ところで、コンゴとの国境の町ギセーニ。銀行がやたらと多かった。コンゴの金持ちが預金に来るのだろう。銀行が並ぶ湖畔には、高級ホテルも幾つか存在。ゴリラツアーに行く西欧人が滞在していることも多い。ビーチやプールもあり西欧人旅行者や現地の金持ちが優雅に滞在していた。宿泊はしていないが、ランチをとるために高級ホテルを利用させてもらった。


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