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障害者スポーツについて
 

なんで、みんな聞くのかなー?

失礼な話だが、見知らぬ人にいきなり、「車イスで大変ですね」とか、「本当に歩けないのですか?」とか、「一生、治らないの?リハビリしても?本当に?」とか聞かれます。そのことがあなたにとって、いかに重要な質問なのでしょうか?単なる興味だけで、触れたくないナイーブな人の心に入ってこないでほしい。質問をされる立場になっては考えれないのか。他人の心の痛みに鈍感な人がいます。さらに気分が悪いのは、毎回、同じような質問をされることです。

決まりきった質問はたくさんありますが、そのひとつに、「何か、スポーツはしないのですか?」というのがある。「別にしてません」と答えると、不思議そうな顔をされたりする。障害者の社会復帰 = スポーツ(パラリンピック) というイメージが強いのだ。

私は、日常生活や趣味の水泳の影響で、上半身はガッチリしている。けれども、バスケットやマラソンなどには興味がない。全ての人がスポーツするわけないでしょう。学校でも生徒全員が体育クラブに入ることはないわけですから。だが、世間はそうは見ていないようです。

障害者モノのテレビドラマとかでも、社会復帰の象徴的シーンなどで、スポーツへの取り組みが描写されたりする影響が強いのか。それとも、スポーツでしか社会復帰ができないというイメージがあるのかもしれません。

対等に競えない

確かに、私自身も、最初に車イスバスケットを見たときは、驚愕しました。スピードが速く、自在に車イスを操り、ぶつかり合う。専用の車イスの性能の良さもあるのだが、トレーニングしている選手の肉体は格好いい。

もちろん、私も実際にやってみた。だが、小学校から、ケガをする高校3年まで、ずっとずっと色んなスポーツに打ち込んできた者として、心に疑問符が出ていた。人と競い合う楽しみが、あまりない。

脊髄損傷の場合、背骨のどの部位を損傷しているかによって体の状態が随分違う。腹筋、背筋の効かない人もいれば、バリバリ効く人もいる。腰が安定している人もいれば、そうでない人も。義足の場合は片足で支えられる。さらに複雑なのは、同じような障害でも、体の状態が違うこと。損傷の仕方、手術の方法、本当に先差万別。
左右のバランスが違ったり、少しだけ感覚が残ってたり、微妙に違います。

つまり、いくら努力しても、超えられない障害の壁があるのです。スポーツをしていて楽しいのは、自分の限界を超えていく楽しみ。それがある程度、限られているのだ。また、対等に競い合うというのが難しい。

車イスバスケットの場合、障害の程度で、持ち点が決められ、5人のチーム全体で、何点以内と決められているので、個々に差があっても、チームとしては差がないようにしているので、最も競いやすい。だが、陸上や水泳などは、もろ自分の肉体で勝負しなければならない。もちろん、障害の程度で、多くのクラス分けがなされて、そのクラス内で勝負するのだけど、同じ障害といっても全く別の状態であったりする。

私の場合をいうなら、胸椎11番の脊髄損傷。限りなく完全麻痺に近い、不全麻痺。足は全く動かないが、感覚は戻った。痙性(反射)というのが強い。そして、背骨が、自分の骨盤を削った骨を使って、6本固定されている。これがやっかいで、体が後ろに全く反れない。前屈姿勢も、ロボットみたいにカクンと下がるので苦しい。

このように、みんなそれぞれ何かしらの不自由はある。単に障害のない人が、車イスに乗って競争するなら平等であると思うが、座位バランスひとつとっても差がある。だから、努力しても、上手な人や、速い人に追いつけないのは、自分の障害の限界値なのではないかとも思ってしまう。同じ障害の程度でも、微妙に状態が違うので、それが影響しているとか。

車イスマラソンのように、競い合う楽しみが存在している競技もある。それでも、金メダリストは、クラス毎に何人もいるのが実態。アーチェリーのように、障害者も、そうでない人も関係なく競え合えるのがいいですね。



有利、不利

障害分けのクラスで、そのクラス内で最も障害の程度が軽ければ有利になる。パラリンピックでも、障害のない人が障害があると偽って出場していて問題になったり。また障害申告や診断の際に、有利な条件になるようにすれば得になる。すなわち、階級分けで有利なら優勝しやすい。 クラス一つで随分変わります。

先日、近畿身体障害者水泳大会というのに初めて出場して、再認識したことがありました。

水泳大会報告へ

障害者スポーツが、リハビリの象徴であったり、社会復帰の象徴でなく、アスリートとして認められるようになるには、競い合うという部分が不可欠だと思います。障害者だけで競い合うのでなく、障害のない人も含めて競い合えれば、
スゴイんだと認識できると思います。良いアイデアはないでしょうかね?その価値のある障害を持つアスリートはたくさんいると思います。ただ、障害があるのに頑張ってやってるね、だけで終わらせないでほしい。

シドニーパラリンピックで、日本人は、障害者でもスポーツは出来るんだという認知しましたが、今後はスポーツとして純粋に見れるかどうかというのが問題となるでしょう。スポーツとして純粋に楽しいコンテンツと、それとは反対の、頑張っている・勇気づけられるコンテンツとに、分けられるべきでしょう。メダル至上主義的な報道にも違和感を感じます。勝敗よりも、そこに向かうプロセスを見て欲しいと思います。


2001/07/07 written by KIJI

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